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佐賀地方裁判所 昭和40年(行ウ)2号 判決 1965年7月01日

原告 石丸正男

被告 東与賀村村長・東与賀村

主文

原告の被告東与賀村村長に対する訴を却下する。

原告の被告東与賀村に対する請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「一被告東与賀村村長は昭和三五年一月一一日第一〇七八号および同月一三日第一〇八五号をもつて発行した訴外石丸モンの印鑑証明発行行為が無効であることを確認し、二被告東与賀村は原告に対し金一〇〇、〇〇〇円を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする」との判決を求め、その請求原因を次のとおり述べた。

請求趣旨一について。

一  被告村長は昭和三五年一月一一日第一〇七八号および同月一三日第一〇八五号の印鑑証明を以つて原告の実母である訴外亡石丸モンの印鑑証明書を夫々発行した。

二  然し右印鑑証明書の発行は次の理由によつて無効である。

東与賀村の村印鑑条例によれば、印鑑証明を受けようとする者が本人でない場合には同村内に居住している成年者二名以上の委任状を村長が確認したうえ印鑑証明を発行することになつているのに拘らず、前記一〇七八号の発行に際して、印鑑証明発行係中牟田寿一は申請人が本人でないことを知りながら、右のような委任状も有しない申請人に対し、顔見知りの者であつたために印鑑証明を発行し、第一〇八五号の発行に際して、発行係は申請人が本人でないことを知りながら委任状も有しない氏名不詳の代理人に印鑑証明書を発行した。

三  原告の実母亡訴外石丸モンは宅地三四七、九五坪並びに田地八反一畝一歩を所有していたが、同女は昭和三五年一月二〇日死亡したので、原告は兄弟らと共に右土地を相続取得すべきものであるところ、右土地の大部分については、石丸モンの意思に反して、同女死亡前の日付によつて発行された前記各印鑑証明を使用して登記書類が作成され、登記原因を贈与として、亡石丸モンの次男石丸輝雄、同人の長男、次男を所有者とする不法な移転登記がなされている。

請求趣旨二について。

原告は被告村長が前記第一、二項記載のように不法に印鑑証明を発行し右不法行為により次のような損害を蒙つた。

一  原告は昭和三二年八月から佐賀新聞社に夜間のみ守衛として勤務し、毎月九、八〇〇円の給料を得ていたが、昭和三五年二月から兄弟姉妹および親類などとの話合、交渉その他どうしても退職しなければ石丸家の財産整理が出来なくなり遂に退職の止むなきに至つたが、前記給料で今日迄勤務しておれば約五年間として約六〇〇、〇〇〇円。

二  原告は四反の土地を耕作し、農閑期を利用して日傭労務者として一日平均六〇〇円、毎月平均二〇日稼働し、月平均一二、〇〇〇円の収入があつたが、昭和三五年二月以後は月平均三、〇〇〇円位の収入しかなかつたから、月平均九、〇〇〇円の収入減として、昭和四〇年一月まで約五年間その損害として約五四〇、〇〇〇円。昭和四〇年二月から日給七〇〇円の契約で竹下製菓株式会社で働いているが、その損害毎月五日余りとして月三、五〇〇円、今後二年間同様としてその損害八四、〇〇〇円。

三  精神的苦痛により家庭の不和等をきたし、日夜悩まされ今日を迎えたが、今後この問題の解決まで四、五年は同様の状態が続くものと考えられるので、その精神的損害二、〇〇〇、〇〇〇円。

四  原告は被告村長が不法に発行した印鑑証明によつてなされた前記移転登記の抹消を求める訴訟を家庭裁判所、地方裁判所等に提訴するので、その費用として約二〇〇、〇〇〇円

原告は以上合計三、四二四、〇〇〇円の損害を蒙つたので、そのうち一〇〇、〇〇〇円の支払を求める。

被告ら訴訟代理人は「原告の請求は棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との裁判を求め、答弁として請求原因事実中石丸モンの印鑑証明書を発行した事実を認め、その余の事実を否認した。

理由

一  原告の被告東与賀村々長に対する印鑑証明発行々為の無効確認を求める訴について、地方公共団体たる村がする印鑑証明行為が、抗告訴訟の対象となる行政庁の処分であるかどうかを考える。

行政事件訴訟法が行政処分の無効確認を求める訴などの抗告訴訟を定めているのは、公権力の主体たる国又は公共団体が、その行為によつて国民の権利義務を形成し、或はその範囲を確定することが法律上認められている場合に、具体的な行為によつて権利を侵害された者にその違法を主張させ、その効力を失わしめてこれを救済するためである。したがつて抗告訴訟の対象となる行政庁の処分は国民の権利義務に消長を来たすような何らかの法律上の効果を生ずる行政庁の行為でなければならない。

しかるに、印鑑証明行為の性質を考えると、この行為は公共団体が私人の利益の為に、その要求に応じて、届出られている印鑑届の印影と証明願に押捺されている印影とを対比して、その同一である事実を認証するにすぎないものであつて、法律上この証明行為自体に何らの法的効果を認めるものではない。とするとこのような事実上の証明行為で法律上の効果を生じない行為は、行政訴訟において抗告訴訟の対象となり得る行政庁の処分ではないと云わざるをえないから、原告の被告東与賀村々長に対する印鑑証明発行々為無効確認の訴は不適法として却下を免れない。

二  次に原告の被告東与賀村に対する損害賠償請求について検討するに、その主張の要旨は、被告東与賀村の印鑑証明担当の吏員が、同村の印鑑条例に反して、石丸モン本人でない者に対して、本人の委任状の提示もないのに、石丸モンの印鑑証明をし、その証明を受けた者がこの印鑑証明を使用して、石丸モン所有の土地を贈与により取得したかのような内容虚偽の所有権移転登記をしたので、原告は他の兄弟らと共に石丸モンから右土地を相続取得した者として、右登記が真実と一致しないことを主張し、親族間での土地所有関係を明確にして、石丸家の財産整理の必要に迫られ、その奔走のため従来の職業の変更を余儀なくされて、従来通り稼働したならば得られたであろう収入に減少を来たして、得べかりし利益を喪失し、将来も引続いて同様の利益喪失が予想され、この問題の解決のため現在および将来にわたつて精神的苦痛を蒙り、又権利の実体と合致しない右登記を抹消するための訴提起に費用を要するに至つた。原告の蒙つたこれらの損害は、被告東与賀村の吏員の印鑑証明に際しての過失に原因するものであるから、被告東与賀村は国家賠償法第一条によつて原告の蒙つた損害を賠償する義務がある、というものと解される。

しかして被告東与賀村の吏員が、原告主張の各印鑑証明書を発行したことは当事者間に争のない事実であるが、この印鑑証明行為が原告主張のように吏員の過失により村条例に反して不法に発行されたものであると仮定しても、不法行為を理由として損害の賠償を求めるには、不法行為と発生した損害との間に因果関係のあることが必要であり、その因果関係は更に相当の因果関係、即ちそのような行為があれば通常そのような損害が生ずるであろうと認められる損害の範囲に限つて不法行為をなした者に賠償義務があるものであるところ、前示原告の主張する損害はいずれも要するに被告東与賀村の吏員が同村の印鑑条例に違反して発行した石丸モンの印鑑証明が使用され、右モンの所有土地について内容虚偽の所有権移転登記がなされたため、原告はこの登記内容に反する事実を真実として親族らに対して主張し、土地について自己の主張する権利関係を容認させ、石丸家の財産を整理するために奔走した結果発生し、又は発生することの予想される損害であつて、これらはすべて右のような登記がなされたことに原因があり、この登記がなされたことによつてはじめて生ずることになつた損害であるといわねばならない。

もとより印鑑証明がなされた場合には、それが常態からすると何らか人の権利義務に関係あることに使用されるものであることは予想されるところであるから、それが土地の登記のために使用されることも必ずしも予想し得ないことではないかもしれないけれども、登記と印鑑証明との関係を考えると、印鑑証明は、不動産登記法施行細則第四二条などの趣旨から窺うことができるように、登記に際して登記申請書等登記関係書類に押捺されている印影が、登記義務者の公共団体に届出られた印鑑によるものであることを明らかにして、登記申請が登記義務者の意思に基いてなされているものであることを証するために使用されるものであつて、登記申請に際して必要なものではあるが、印鑑証明の存在は必ずしも登記の存在を導くものではなく、登記がなされるかどうかは何人かが登記申請行為をするかどうかによつて決定されるものである。そのうえ、そのなされる登記が不実のものとなるのは、登記申請者の意図により登記義務者の印鑑、印影等を冒用して内容虚偽の登記申請書等登記関係書類を作成し、これを登記官吏に提出することにかかつているのであつて、印鑑証明は、それ自体において登記内容を不実のものとするかどうかを決定するものではない。

このように印鑑証明がなされても、それは直ちに登記に結びつくものではないし、加えてこれが不実の登記申請の為に使用されるかどうかは、全く登記申請者の意思にかかつているのであるから、たとい印鑑証明を用いて内容虚偽の登記がされ、その結果原告がその主張のような事態を招来し損害を蒙つたとしても、それは到底不法な印鑑証明行為によつて通常生ずる結果ということはできない。

このように考えると、原告主張の損害はいずれも被告東与賀村の吏員の不法な印鑑証明行為と相当因果関係があるとは認められないから、原告の請求はその主張自体において理由のないことに帰すから、その余の判断をするまでもなく失当として棄却を免れない。

以上のとおりであるから、原告の被告東与賀村々長に対する訴は却下し、被告東与賀村に対する請求は棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 弥富春吉 人見泰碩 田中昌弘)

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